最近、猪瀬直樹著「突破する力」 を読んでいる。
その中で、台湾からのウナギの稚魚を船で輸入するとき、ただ単に、ウナギの稚魚を水槽に入れて運ぶだけでは、大半の稚魚はくたびれて死ぬが、その中にピラニアを1匹いれておくと、稚魚は食べられまいと必死でアドレナリンを出し、結果、多くが生き延びるとの事例を出していた。
これは、「和を貴ぶ先にまっているもの」としての事例である。
皆が平等で富が配分されるとしたら、国民は働く意欲を失うし、努力や改善をする意味がないとなって国が滅びる。いい例が旧共産圏諸国である。
この事例を針や灸に適用するには乱暴かもしれないが、針や灸も生体にわずかな傷をつけることで刺激を与え、その傷を復旧しようとする生体の反応を利用するという意味では似ていると私は思う。
一時的には、針や灸で軽微な損傷が生じるが、その損傷を直すプロセスの中で、血管が拡張し、その結果、こりや痛みを起こしている部分の老廃物を流し去る、こりを解消するということになる。
針や灸は、その意味ではピラニア的だと思うと不思議な気がする。
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